ゴセシケラボ

合成神経細胞群塊研究所電信網分室。嘘。文庫本とか漫画とかアニメとか。あと『セブンズストーリー』。

「夜明けのリネット」幕間・【夜間偵察】

アディス「俺とエステア、フェクタ…あと何人かで、偵察に出よう」

こうしてラボス村周辺での魔王軍の動向を偵察に出たアディスたちは、森の奥深くで首尾よく魔王軍本隊の位置を突き止めたものの、村へ引き上げる際に魔王軍の一部隊と遭遇、戦闘に突入した。
アディスとエステア、フェクタ以外のメンバーは、ジアス、キッシュ、ラシオ、ルネ。みな戦闘経験は豊富で夜の森での戦いに慣れてもいたが、優先すべきは敵の撃破ではなく情報を持ち帰る事なので、撤退戦として移動しながらの戦闘となった。しかしそれは敵に囲まれ味方の陣形を維持できない乱戦へと移行し、結果アディスたちは二、三人ごとの小集団に分断されてしまった。

目の前の魔族を斬り伏せ、ようやく出来たそのわずかな余裕でアディスは周囲の状況を確認する。今アディスの近くにいるのは、一体の魔族と対峙しているエステアだけだった。
すると、エステアの背後にもう一体の魔族が迫った。
エステア!後ろだ!」
叫んでアディスは右手の剣を投げた。アディスの双剣は投擲に向いたバランスではないが、このぐらいの距離なら問題なく命中させられる。
が、
一瞬の竜巻のようにエステアの身体が旋回して前後の魔族に斬りつける。アディスの剣はわずかに遅れて手前の魔族の背中を裂いただけだった。
──あ。
またやってしまった。アディスは胸中で嘆息する。そうだ、エステアは天下五刀の“水”の使い手なんだった。
アディスには、年下の子供の世話を焼いてしまうという癖があった。別に子供好きというわけではなくむしろ苦手な方なのだが、子供が困っていたり危険に近づいてたりすると、つい身体が動いてしまう。
それでもたいていは子供たちから感謝される。問題は、ごくまれに年下とは思えないほどの実力と達観を兼ね備えた子供がいて、そういう子供たちを手助けしてもあまり良い結果にならない事だった。
以前、リネットが今のエステアと同じような状況になったところを助けに入ったのだが、リネットもあっさり自力で切り抜けてしまい、
(わたしは確かに子供だけど、あなたに助けてもらわなきゃならないほど弱くはないのよ?)
と言いたげな冷たい眼差しをアディスに向けてきた。あの目を思い出すと今でもいたたまれない思いに襲われる。
エステアはしかしアディスにペコリと頭を下げた。アディスも特に表情を変えずにうなずいて返したが、内心では安堵していた。
「キシャアッ!」
さらに魔族が現れた。
アディスは左手の剣を右に持ち代えた。双剣ではなく単剣での戦いは久しぶりだが、どちらでも戦えるよう訓練は充分積んでいる。かつて所属していた組織オルトロスで、そう仕込まれた。
すると、
「ア、アディスさん!」
エステアが、右手に握った蒼水剣をアディスへと真っ直ぐ差し伸べる。次の瞬間、エステアとアディスを結ぶ直線上に五振りの蒼水剣が出現し、五振り目はちょうどアディスの目前に滞空した。パシャパシャッと水音が連続すると蒼水剣の複製は水へと分解したが、五振り目だけは形を変えずそのまま残り、ゆっくりと旋回している。見れば、エステアが右手に持っていた本体の方が水に変じていた。
──本体と複製を入れ換えた?そんな事も出来たのか!
「つ、使ってください!」
エステアの言葉を受けて、アディスは空いてる左手で目の前の蒼水剣をつかむ。
アディスが双剣で魔族と向かい合うのを確認したエステアは、地面に落ちていたアディスの剣を拾い上げた。エステアは双剣での戦い方しか知らないため、片手が空いたままでは不安だった。複製しても長時間は形を保てないため、持って戦うというわけにはいかない。実体のある武器が必要だった。
それに、
この剣をこの場に放っていく事はできない。

魔族と戦いながら、アディスは戦慄に近い驚きを蒼水剣に感じていた。
蒼水剣に興味はあったので平時に持たせてもらった事は何度もあるし、蒼水剣を使って軽く手合わせした事もある。その時も、蒼水剣の見た目以上の軽さと扱いやすさには驚いた。
しかし。
実戦の中で命を賭けて振るう蒼水剣は、模擬戦の時とはまるで違う顔を見せた。恐ろしいほどの切れ味で、骨を断つ時でさえごくわずかな手応えしか感じない。軽いので、剣閃の切り返しが普段以上に速く、鋭くなった。幅広の剣の腹を柔らかく使えば、敵の攻撃を流水の如く受け流すことが出来た。気づけば、敵を斬り伏せるのには左手の蒼水剣だけで事足りた。右手の剣は防御に使う必要さえない。
だが、アディスは別の事にも気づいた。
蒼水剣を振るうと、その軌道が自分の意図とわずかにずれていくのだ。
攻撃してくる敵を牽制しようと振った蒼水剣は、想定よりわずかに延びて敵に届き、その腕を切り落とす。
浅く斬りつけて戦意を喪失させるだけで済ますつもりの一撃が、思いのほか深く抉って致命傷となる。
自分が蒼水剣の強さに酔って血に狂い始めたかと慄然としたが、いや、と思い直した。かつてオルトロスで“仕事”をしていた頃に感じていた、暗い陶酔感はない。
──もしかするとこれは…
五刀の使い手たちはみな、剣には意思がある、剣の声が聞こえると言う。では、これが蒼水剣の声か。敵を斬り、命を奪い、血にまみれるのが蒼水剣の意思なのか。
エステアもこの声を感じながら戦っているのだろうか。この意思を御せる事が、使い手の資格なのか。
いつしかアディスは、そんな事を考えながら戦い続けていた。

一方。
エステアも驚いていた。
──アディスさんの剣、お、重い!
アディスの剣は、ごく普通の細身の片手剣だ。見た目で比べれば、蒼水剣の半分ほどの細さしかない。だが、重さは倍以上あるように感じた。
いや、そもそも蒼水剣の方が剣としては軽すぎる部類なのだ。五刀の中で蒼水剣だけは他の四振りと違い、使い手が子供のエステアである事を前提として創られている。つまり子供の腕力でも扱えて、なおかつ常時携行しても身体の負担にならない程度の重さに抑えてあるという事だ。
アディスの剣を最初に拾い上げた時は、ちょっと重いけどこれならなんとか戦えるかな?と思ったエステアだが、動き回っているうちに剣がだんだん重くなり、今では構えを固めて防御に徹するのがやっとだった。無論、剣の重量が増したのではなくエステアの腕が疲労したのだ。
しかしその重さよりも、剣が何も言ってくれない、何もしてこない、それが予想以上の負担になっていた。
左手で操る蒼水剣は、普段と同じように敵の存在を感じとり、その動向を伝えてくれている。だが、右手の剣からは何も伝わってこない。その感覚のアンバランスはエステアにとって初めての事であり、それは自身の片目や片耳が機能しなくなった事と同義であった。
今のエステアは、敵が襲ってくるその瞬間を片方だけの視界、一振りのみの蒼水剣で先読みし、右の剣で防御しつつ蒼水剣とその複製で反撃する事しかできなかった。そのような、普段ならやらない、やる必要のない戦法を余儀なくされている事も多大な疲労の一因となっていた。
──怖い。
疲労でフィジカルが、知覚の空白でメンタルが削られていくとエステアは不意に、今まで感じたことのない恐怖をおぼえた。
──わ、わたしは…蒼水剣がなければ、な、何も、できない…?
蒼水剣の使い手は、蒼水剣と共にあれば天下に並ぶもののない剣士。だが蒼水剣を持たなければ、
何者でもない。
その瞬間、ひやりとした感覚がエステアの身のうちを走った。膝から力が抜け、足裏で踏んでいる地面の感覚もあやふやになった。
エステアの動揺を見抜いて好機とみたか、二体の魔族が同時に突撃を仕掛けた。一方が斬られても、もう一方の攻撃は通る。
反応の遅れたエステアは複製での反撃もままならず、身体の前で双剣をかざしてガードするしかなく──

黒い影が飛び込んでエステアの眼前、一瞬の旋回で魔族二体を斬り伏せた。アディスだ。
「大丈夫か、エステア」
「…ア、アディスさん…」
その場で尻餅をついてしまったエステアは、脱力して呆けたような表情でアディスを見上げた。
へたり込んだエステアを見て、一瞬右手を動かしかけたアディスはふと考え直し、
左手に握った蒼水剣を地面に突き立て、
空いた左手をエステアに差し出した。
「立てるか?」
「…は、はい…」
アディスの左手を取ろうと右手を動かしたエステアは、
その手に握ったままの剣に気づくと、
ほっと表情をゆるめて、地面に立てられた蒼水剣にアディスの剣を立てかけた。
左手をしっかり握ったエステアを、アディスが引き上げる。一度よろめいたが、エステアは立ち上がった。
「どこか怪我は?」
「そ、それも大丈夫、です。…あ、あの…」
「?」
「あ、あああ…ありがとうございます」
「こちらこそ、剣を貸してくれて助かった。それに、俺の剣も拾ってきてくれたんだな」
「は、はい。あ、あのままおいてけぼりは、か、可哀想だったので…」
「そうだな。ありがとう」
アディスは自分の剣を左手で取り上げる。エステアも、右手で蒼水剣の刀身に一度触れてから、改めてその柄をそっと握った。
「さあ、行くぞ。あと少しで森を抜ける。そこでフェクタたちと合流できるはずだ」
「は、はい!」
エステアは歩き出す前に数回、大きな深呼吸をした。身体や手足の芯に重く固まっていた疲労が、呼気の中に溶けて吐き出されていくかのように、みるみる軽くなっていった。なにより、両の手それぞれで握った蒼水剣から活力が流れ込んでくるような気がした。
──もう大丈夫。いつもありがとう。心配かけてごめん。
蒼水剣に伝えたい言葉がいくつも浮かんできたけど、どれも本当に言いたいことから少しだけずれている気もした。だから言葉の代わりに、
大きく足を踏み出した。

アディスも歩きながら、左手の剣を軽く一振りした。蒼水剣の感触はまだ腕の中に残っている。が、不快な印象はもうない。
ついさっき、蒼水剣の挙動が必要以上に攻撃的だった理由がわかった。二体の魔族に襲われるエステアをかばって飛び込んだ際、自分の太刀筋と蒼水剣の動きが完全に一致していて、そこでふと気づいた。
焦りだ。
アディスに託された蒼水剣は、一刻も早くエステアの元に戻りたくて焦り、苛立っていた。そのため、立ちふさがる敵を全力で、最速で倒そうとしていたのだ。
蒼水剣はエステアのために創られた剣。それも、二振りで一対の双剣エステアが一振りを手放せば、エステア自身も蒼水剣もその実力を半分も発揮できない。その事にエステアは気づいていなかったが、蒼水剣だけはわかっていたのだ。
ちらりと、横に目をやる。しっかりした足取りで歩みを進めるエステアと蒼水剣。
──無事で良かったな。
そんな事を考えながら、アディスは双剣を握り直した。
最後のひと仕事が残っている。
得た情報をもって帰りつくまでが偵察任務なのだ。